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野球愛し、原爆語ってくれた亡き祖父へ 広陵捕手の誓い

野球愛し、原爆語ってくれた亡き祖父へ 広陵捕手の誓い
毎年思うのだが
何故、アメリカは原発を投下したのか?
当時の大統領が承諾したのか?ここはやらないのか?

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広島原爆の日の6日、第100回全国高校野球選手権記念大会に出場している広陵(広島)の選手らが、原爆投下と同時刻の午前8時15分、大阪府池田市の宿舎「マスミ荘」の前で広島の方角を向いて整列し、黙禱(もくとう)を捧げた。捕手の鉤流(つりゅう)大遂(ひろみち)君(2年)は、原爆について話してくれた野球好きの亡き祖父を思い、甲子園での活躍を誓った。
鉤流君の祖父の上田龍晴(たつはる)さんの左腕には10センチほどの古傷があった。「原爆での」。鉤流君が小学生のころ、龍晴さんが5歳の時の話をしてくれた。「山の向こうでピカと光ったかと思うと、家の窓ガラスが全部割れて、腕に刺さったんよ」。数時間後には、爆心地からおよそ10キロのところにあった龍晴さんの家の前に、やけどを負い、水を求める人がぞろぞろと列をなしたという。
夏になると、テレビで甲子園を見ていた龍晴さん。鉤流君は11年前、6歳の夏に一緒に見た決勝を覚えている。八回裏に佐賀北に逆転満塁本塁打を浴び、広陵が惜敗した激戦。祖父は「ええのぉ、この子ら。甲子園でこんな試合ができたら、一生の財産になるのぉ」とつぶやいた。鉤流君はそれから野球に憧れるようになり、小学4年の時から地元の少年野球クラブに入った。「費用はわしが出すけえ」。背中を押してくれた龍晴さんは3年前、75歳で帰らぬ人となった。
鉤流君は広島大会で正捕手として活躍。4人の投手の特長を生かし、継投を支えてきた。「『広島人』として、原爆のことは忘れない。その上で、広陵の選手として日本一を目指します。その姿を、じいちゃんは絶対見てくれているから」

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